Shima Shima English

エイメイ学院 / 明成個別 英語科講師のブログ

古代ペルシアから始まる「選択」の教え

 キリストがこの世に生まれる1000年以上も前に、古代ペルシアにはゾロアスターという人物が、聖者として人々から崇められていた。

 

f:id:shima-nju:20191103141456j:image

 

 彼は自らを哲学者と言い、この宇宙は光と闇、善と悪、真実と虚偽、生と死の相対する2つの領域に分かれていて、人間はそれを自らの意思で「選択」できる、と説いた。

 

 つまり、ひとりの人間が善を選択すれば、光や生命の力を高め、悪を選択すれば、闇や死の力が強くなる、ということだ。だからゾロアスター「運命」とか「宿命」なんてものはない、人間は自らの力で未来を切り開けるんだ、と主張した。

 

 彼の教えはゾロアスター教としてアケメネス朝ペルシアから始まり、ユーラシアの東西に広がった。彼の思想はユダヤ教に影響を与え、中国にも広まった。キリスト教イスラームユダヤ教から生まれたとするならば、彼の思考は世界中で生きていると言っていい。ちなみに、ゾロアスター教の善神アフラ・マズダ(Ahura Mazda)は日本の自動車メーカー「マツダ(Mazda)」の由来にもなっている。日本にまでも到達してるってすごくない?

 

 他にも天国と地獄という二項対立が仏教やキリスト教に影響を与えただとか、ゾロアスター教の祭司を指す "magus"(複数形はmagi) が魔術師を意味する "magician" になっただとかいろいろあるけど、今回は「選択」することについて話したい。

 

 「人生は選択の連続である。」というのが、一体何年前から議論されているのか。ゾロアスターによると、人間は内に善と悪の両方ともを秘めていて、誰でも思うままに選択することができる。しかもその選択ひとつひとつが宇宙の結末に影響を及ぼすんだって。天国に行けるのは、この世で良いことをしたご褒美なんかじゃなくて、善を選択し続ければ当然辿り着くものなんだって。

 

 つまり、行きつく先は自分の選択によるものだし、逆に言うと選択することで自分の未来を選べるっていうこと。時代や周りの意見に流されて辿り着くんじゃなくて、流されることを自分で「選択」したってこと。「面倒だから」、「私にはちょっと」というのは怠けや不安なんかじゃなくて、何もしない自分になることを「選択」したってこと。「辛いけど勉強頑張る」、「やったことないけど挑戦してみる」というのは、理想の自分になることを「選択」したってこと。

 

 ゾロアスター教では善神だけでなく常にそれと対になる悪神も消えることなく信仰の対象とされた。つまり、誰でも良い部分と悪い部分があることは分かっていて、分かれ道に立った時にどちらを選択するかで、誰でも良い方にも悪い方にも行けるってこと。

 

 どこに辿り着くかは分からない。途中の道が険しすぎることもあるかも。でも確かに言えることは、自分が、なりたい自分になるために、今、あなたはその道を進んでいる、ということ。決して神様が、運命が、そうなるように仕向けたわけじゃないんだ。