「敬語」が嫌いな理由
前回の続き...
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おれはよく、周りから変だと言われる。
(おれからしたら、みんなが変なんだけど。)
そう言われる、ひとつの原因が、"敬語" についての考え方...。
中学生のときから、ずぅーっとモヤモヤしていたことがある。
もしかしたら、反抗期だったのかもしれない。
人生で初めて、上下関係を目の当たりにする瞬間。
それは、中学生のときに入っていた、テニス部のときだ。
先輩に対して、なんとなく「です」・「ます」といった丁寧語を使い、
「あ、先輩に対しては敬意をもって、
『敬語』を使わなきゃいけないんだ。」
という素朴な、かつ単純なことを学んだ。
でも、なんだかモヤモヤする。
『敬語』というくらいなのだから、
尊敬できる素晴らしい先輩には、敬意を表してそれを使うのは腑に落ちた。
その「素晴らしさ」は何でもよかった。
テニスが上手な先輩、
後輩を気にかけてくれる先輩、
練習を一生懸命に取り組む先輩。
なんだって尊敬の対象になりえた。
でも、腑に落ちなかったことがある。
練習には積極的に参加せず、
コートではぺちゃくちゃ無駄話をし、
たいしてプレイもうまくなく、
極め付けは、片付けの時にラケットを機関銃のように構えて、大声で乱射を始めた...。
「おれはこんなやつにも『敬語』を使わなきゃいけないのか??」
納得がいかなかった。
おれの中では、「敬語」というのは、
目上の人に対して敬意を払うための言葉遣い。
でも、こいつは、
おれより何か月か先に生まれただけで、
尊敬に値する素養に欠けているというのに、
おれは敬意を表するために「敬語」を使わなきゃいけないのか??
そこから、「敬語」に対するモヤモヤが始まった。
中学生の時から始まった自分史上、
最もモヤモヤな風習を目の当たりにしたんだ。
でも、最近になってやっと、なんとなく自分なりの答えに辿り着きつつある。
光が見え始めたのは、大学で英語という "言語" を勉強し始めてからだ。
そう。
結論は、「敬語」とは、「『距離』を作る表現なのだ」と。
①
「敬語」は、自分より先に生まれた人々に対して使わなければならない、日本に根付いている理不尽な風習だと思っていた。
②
でも、敬意を表する「敬語」を使いたくない人間が目の前に突如として現れた。
③
しかし、よく考えると、
自分より先に生まれているにもかかわらず、「敬語」を使わなくていい人間がいることに気が付いた。
e.g. 両親・祖父母・親戚の兄弟などの家族、仲の良い友達
④
さらに、なんなら、
自分より年上ではないにも関わらず、「敬語」を使う(べき)相手がいる。
e.g. 初対面の相手やあまりよく知らない知り合い (いずれも年下であったとしても)
うわ、ここから導き出される答えは、
「敬語」とは、相手との距離を作るために使われるんだ、ってことじゃん...。
結局、
家族や仲の良い先輩には「敬語」なんて使わないし、
年下であってもあまりよく知らない間柄なら、「敬語」を使う。
そこに辿り着いてからおれは、
「年上の人には『敬語』を使う」から、
「距離をとりたい人には『敬語』を使う」へ頭を切り替えた。
「距離をとりたい」は別に、仲良くなりたくないというネガティブな意味ではない。
例えば、大学の教授や初対面の関係が浅い方といった、いきなり精神的なパーソナルスペースにガツガツ入らないほうがいい人に対して、「敬語」を使う。
だから、「距離」を詰められたら、先輩だろうが上司だろうが、「敬語」は使わない。
というより、本音を言うと、使いたくない。
だって、
単純に言い方が遠回しになって、
伝えたいことをはっきり、簡潔に伝えられないし、
そしてなにより心の距離を感じてしまう。
できれば、みんなに親しんでほしいという想いから、
後輩にも「敬語」はあまり使わせない。
だから、たまに後輩と同じ年なのかと思った、と誤解されることもあるけどね。笑
でも、そのおかげで、話しやすい先輩(というより話しやすい人)になれているように、最近感じる。
あんまりこういう話を人にすると、「常識を知らない」と言われる。
昔からの体育会系な「上下関係」という環境でいた人には、なかなか受け入れ難い考えかもしれない。
でも、おれからすると、
その「常識」を約7、8年かけてじっくり考えた末の結論なので、
お前よりは「常識」について考えてるよ。って言いたくなっちゃうけどね笑
これ以上は、嫌われるからやめときます。笑
あ、でも、もしかしたらただのワガママなだけなのかもしれない。😳