shima's diary

エイメイ学院 / 明成個別 英語科講師のブログ

16万の消えゆく小さないのち

 生命倫理の問題と聞くと、日本ではけっこう安楽死の問題が主役に躍り出るかな。

 

 

 

 安楽死は賛成?反対?

 

抗がん剤治療に苦しむ患者を家族の意思で死に至らしめていいのか。

 

本人は本当に死を望んでる?

 

殺人と同じ??

 

でも、苦しんでいるから楽にさせてあげたい?

 

 

 

 しかし、海外では、もちろん安楽死の問題もそうだが、もっと論争されているのは、人工妊娠中絶の問題だ。

 

 

 

 特にアメリカでは、大統領になると必ず聞かれるほどの争点なんだ。

「大統領、あなたは中絶に賛成・反対、どちらの立場をおとりになるんですか!!」

 

 

 日本で、憲法改正に賛成か反対か聞かれるのと同じような、政治的な立場になりうるのが、中絶の問題なんだ。

 

 

 

 

 

 

 「生命の命は他の何よりも重い。一番尊い。奇跡の連続で誕生しようとしている新たな "いのち" を他人が勝手に殺していいはずがない!!」

 

 このような立場を、Pro Life ["pro"は賛成の意] と呼ぶ。それに対して、

 

 

 「中絶は当事者、特に女性の権利だ。育てるのは親なのだから、親が育てないという選択をとるなら、それを尊重すべきだ!個人の選択の自由を守れ!!」

 

 このような立場を、Pro Choice と呼ぶ。

 

 

 

 

 あなたはどちらの立場をとるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 たしかに Pro Life は聞こえがいい。キリスト教的感覚があるし、日本でも人命第一とかよく言う。

 

 でも、レイプ被害など望まない形でできてしまった子どもは?

出生前診断で生まれても生きていくことができないほどの重度の障害が見つかった子どもは?

必ず生まなくてはいけないの???

 

 

 

 Pro Choice もいくつか問題点がある。

 

 物事を言うことができない胎児の権利は?

中絶の当事者って、お腹の中の胎児じゃないの?

胎児の人生を親が決めていいの?

あなたの決断で、ひとりの人生を決めていいの???

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アメリカではすごいよ。人工妊娠中絶行ったクリニックに、中絶反対派(Pro Life)の人間が銃弾を撃ち込んだこともあった。

 

 生命を大切にしろっていう立場(Pro Life)なのに、銃弾打ち込むってめちゃめちゃ面白いけど!笑

 

 でもそれくらい、多くの人が関心を寄せていることなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在、日本では年間約16万件の人工妊娠中絶が行われている。

 

 

 

 

1日あたり約450件の計算になる。

 

 

 

 

 戦争のない平和な日本で、年間の自殺者数は約2万人。

たびたび話題になるが、中絶によって失われるいのちは、年間16万だ。

 

 

 

 

 日本国憲法では、人工妊娠中絶は禁止されている。

でも例外規定があって、レイプによる妊娠や経済的な理由によって、例外的に中絶が可能になる。そして、それが1年に16万回も適応されている。

 

 

 

 

 「日本人は命を大切に」と言うわりに、16万もの人工妊娠中絶がなされる。すこし無関心すぎじゃないか???という警鐘を鳴らすまでにとどめておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 子どもの幸か不幸かは誰が決めるのか。

 

 子供は親のものなのか。親の所有物かのように、ひとつの命の未来を決定していいのか。

 

 子供は社会のものだから、社会で育てるべきじゃないのか?

 

 じゃあ、経済的な問題は?「福祉」と「未来への投資」という観点で社会がなんとかしなくちゃいけないんじゃないのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あなたはどう思いますか?

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アップデート ~英語教育の刷新~

 今日、グローバル化の進展で世界は小さくなり、地球温暖化など地球単位で様々な問題を共有し、対処していかなくてはならない。

 

 情報技術の発展は加速度的に進行し、インターネット、AI技術等の進化は著しく、ヒトにとって代わってロボットたちが活躍し、生活を共存していく未来は近い。

 

 さらに、バイオテクノロジーの発展は目覚ましく、医療などの場で大活躍し、人生100年時代は確実的なものになってきている一方で、倫理との衝突が今、争点になっている。

 

 

 

 

 

 そんな中、教育界でも、明治維新くらいの刷新的な改革が、行われようとしている。

そんな時代を生き抜くために、未来の子供たちへの教育もアップデートされようとしているのだ。

 

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 最近ニュースでとても話題になっているけど、

 

 大学入試改革では、重要な2本の柱である、

「数・国の記述式問題の導入」「英語外部試験の導入」が両者とも見送りになった。

 

 

 でも、センター試験は廃止され、新たに大学入試共通テストが施行される。

 

 英語の問題から日本語が消え、発音・アクセント問題や文法を問う知識問題が消え去り、知識ありきのReading中心的な問題に移行する。

 

 さらにReadingとListeningの割合は4:1から1:1になる!

 

 

 

 小学校でも、5・6年生は "教科としての" 英語が始まり、5科目と同様に数字による評価が出るようになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やっぱり気になるのは、中学生部門!!

 

 中学校の新学習指導要領が導入されるのは、2021年度

一体、どんな改革が行われて、どこを目指していくのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

①授業がAll Englishに!!

 

 中学校の授業が、基本的には英語で展開される。日本で生活していて英語を使う機会はまったくない。だからせめて、教室内だけは英語を使う空間にしようという動き。

 

 これは、「話す」という領域をもっと拡張するためで、英語による「やりとり」「発表」が評価の対象になるということ。もしかしたら、それを試す入試が続々とでてくるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

②覚えなきゃいけない単語数が1200語から、

1600~1800語に!!

 

 中学校3年間のうちに覚えなくてはならない単語数が、現行の語彙数より400~600語増える。

 

 ちなみに小学校でも600~700語を修得するように定まっていて、かなりの語彙を覚えることになる。

 

 

 

 

 

新しい文法事項が登場!!

 

 中学校のうちに学習する文法事項が少しだけ増える!

・現在完了進行形 

   I have been playing soccer since ten o'clock this morning.

・原形不定詞         

    I helped my mother wash dishes.

・仮定法過去         

    I wish I had a bike.

                                         など

 

 

 

 

 

 

 

 

 いろんな変化が目まぐるしく起こっている時代だからこそ、それについていけるように、常に新しい情報を取捨選択して獲得していかなくてはならない。

 

 

 そのためのヒントが英語なのかもしれない。

 

 

 日本は民主主義だから、ぼくら一人一人に主権がある。つまり、国民ひとりひとりが「賢くあれ。」という命令のもとに生きている。

 

 

 なんでかって、ぼくらが政治を動かすからだよ。

 

 

 

 日本の方向を決定する権利がある以上、誤った判断をしてしまえば破滅に向かう。

だから、国民は学び続けなければならない。

 

 その情報源は、「日本語だけ」という狭く浅い領域からでは足りない。

これは日本語が悪いと言っているのではなく、それを絶対視する必要はないという意味。

 

 

 

 だから、その情報源は多い方がいい。だから、様々な情報に触れるために、英語は必要不可欠な時代に突入している。

 

 

 

 これから、もっと英語が話せる外国人が日本にやってくるし、圧倒的に便利なAIが普及するし、なによりぼくらより英語をバリバリに勉強した若い世代がやってくる。

 

 

 

 

 

 

 おれらも、英語はおろか、いろんなことを学び続けて、考えをアップデートしていかないといけないな。

 

 

 負けないぞ!

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三つ子の魂百まで

 ヒトには言語を習得するための、ブラックボックスのような装置が、あたまの中に遺伝的に備わっている。(と考えられている)

 

 

 

 

 だから、ヒトであれば誰であっても、苦労なくして言語を習得することができる。母国語ってやつだ。

 

 

 

 

 

 でも、言語を習得するためには、ある条件がある。

 

 

 

 

 それは、幼少期にその習得したい言語が使われている環境に身を置く必要がある。

つまり、小さい時に言語にさらされる必要がある。

 

 

 

 

 言語になにも触れない状態で、"ある時期" を過ぎてしまうと、どんなに頑張っても言語をスラスラ話せるようにはならないと言われている。

 

 

 

 

 

 その "ある時期" というのは、クリティカルピリオド(臨界期)と呼ばれ、3~5歳と言われている。

 

 

 

 この時期はまだ正確には分かっていない。なんでかっていうと、なかなかそれを調べる実験ができないからだ。

 

 

 

 

 実験をしようと思ったら、ある子どもを言語に触れさせず、大人に成長させるということをしないといけなくなって、その子のその後の人生に多大な影響を与えてしまう。

 

 

 倫理的にダメってやつで、もしバッドサイエンティストが、実験をするためだけに、自分の子供を作れば、できちゃうかもしれない。

 

 

 非難はされるけど、言語獲得の研究は飛躍的に前進する。

 

 

 

 

 

 

 

 

  でも、その実験が、偶然可能になってしまった事件が起こった。

 

 

 

 1957年4月にアメリカ、カリフォルニアに生まれたジーニー(仮名)という少女がいた。

 

 

 彼女の父親は、妻に暴力を加えるDV夫。そして父親はなんとジーニーを赤ちゃんの時から狭い部屋に閉じ込めてしまう。

 

 言語を獲得するのに大切な幼少期を、社会から隔絶された空間に閉じ込められたジーニーは、13歳まで時を過ごした。

 

 

 

 

 父親の虐待、監禁が明るみに出て逮捕され、ジーニーは日の光を浴びることになったが、うまく言葉を話せなかった

 

 

 

 

 あらゆる言語学者たちが彼女に手を尽くしたが、結局言語を獲得するには至らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒトは誰でも言語を話す可能性を持っている。でも、クリティカルピリオドと呼ばれる期間を過ぎてしまうと、どんなに言語を勉強したって、流暢には話すことはできなくなってしまう。

 

 

 

 でも、裏を返せば、小さい頃にした経験というのは、その後の人生にずっと残り続ける。

 

 

 これは言語だけではなく、いろんなことがこれに当てはまると思う。

 

 

 小さい頃にピアノをやっていれば音感が身に着いたり、読書をしていれば読んで理解するのが速かったり。

 

 

 マクドナルドがあそこまで小さな子どもたちに向けたハッピーセットに力を入れる理由もわかる。

 

 子供の頃に味わったあの強烈なポテトの味は大人になっても忘れることなく、生涯ずっと食べたいと思うことになる。

 

 

 

 

 

 

 ちょっと話はそれたけど、言葉を話すというのは、ピアノのようなスキルではなく、ヒトに生まれつき備わっている、人間特有の能力なんだ。

 

 

 そして、面白いなと思ったのは、

日本のことわざに、「三つ子の魂百まで」というのがある。

 

 「幼い頃の性格はいくら年をとっても変わらない。」という意味で、源氏物語からでてきたことわざなんだけど、まさにこの言語獲得という的を見事に射ていると思った。

 

 

 

 

 

 

 

 「3歳までに言語が使われている環境に身をおけば、言葉を話せるようになる。」

 

 

 

 

 

 

 英語にも "The child is father to the man." とか同じような意味のフレーズがいろいろあるけど、

 

 

 

 やっぱ「三つ子の魂百まで」が一番具体的で、クリティカルな表現だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まさか、平安時代に生まれた伝統が、世界で行われている現代の言語学研究の最先端を言い当てていたとは。、

 

 

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 第二言語に関しては、また今度。笑

 

愛は世界を救わない!?

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 「愛」というのは、時に幸せをもたらし、時に人を狂わせる。

 

 

 

 まさに表裏一体の感情、もはや感情と呼ぶには収まりきらない、なにかとてつもない力を秘めている。

 

 

 

 人を狂わせる、といっても一国の王ともなる者が狂ってしまえば、もれなく国ごと狂ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 西暦756年、聖武天皇が亡くなった。

 

 男児に恵まれなかった彼のあとを引き継いだのは、彼の娘である孝謙天皇であった。

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孝謙天皇

 

 

 

 日本において、女子のキングは認めらていない。今でもそう。ふさわしい男子がいない空白の時間の ”つなぎ” として即位した。

 

 

 

 

 つまり、彼女のあとの天皇になりうるチャンスは多くの皇子に与えられたことになる。我こそ、我こそと権力を争う。

 

 さらに、孝謙天皇自身が子どもを産むとなれば、別の貴族の男性と育まなきゃいけなくなり、皇族の血統がそっちの家に移ってしまうということで、恋愛も禁止された。

 

 しかもしかも、女というだけで政治なんてできないって思われて、当時の有力貴族であった藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)の言いなりにならなきゃいけなかった。

 

 

 

 

 

 

 もう寂しくて寂しくて仕方がない!!!!

 

 

 なんで、私はこんなに寂しい想いをしなくちゃいけないの!?

 

 

 

 

 想い悩み続け、40代になった孝謙天皇は、病に倒れてしまう。「病は気から」というように、彼女は床にひれ伏してしまう。

 

 

 そんな彼女の看病にあたったのが、あの伝説の僧侶道鏡でした。

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道鏡

 

 こいつの伝説はすごい!

 

 

 

 なにがすごいかって?

 

 

 

 もう、下ネタばっかり!!笑

 

 

 日本史の伝説に、希代の「巨根」って書いてあるんだよ?すごくない?

 

 なんか座ると膝が3つあるように見えるって言われてるんだよ。不名誉すぎない!?

 

 

 

 

 でもでも、孝謙天皇道鏡恋に落ちる。寂しかった彼女に道鏡は接近した。

 

 僧侶である立場なんて忘れて、あくまで看病という名目で、きっと、きっと、。、

 

 

 

 

 

 「あっちっち///」があったにちがいない。笑

 

 

 

 

 

 そして孝謙天皇道鏡を寵愛しまくった。一般の僧侶であっただけの彼は、なんと、日本のNo.2まで昇りつめて、あと一歩で天皇になる!?ってところまでいった。

 

 

 宇佐八幡の宣託っていって、「神がさ、おれに天皇になれ。って言ってくれたんだよ!もうなるしかないでしょ!?!?」ってでっちあげる。

 

 朝廷の人間は、みんな大混乱

 

 

 まあ、結局それがバレちゃって、左遷されてしまうんだけど。笑

 

 

 

 

 

 

 

 実は、一国の君主が愛に毒されてしまったのは日本だけではない。

 

 偶然なのかわからないが、8世紀という孝謙天皇道鏡の時代とほぼ同じ時期に、隣の中国でも愛に狂った君主がいた。

 

 

 

 当時の中国は王朝。君主は玄宗と呼ばれる、すごい君主。

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玄宗

 

 彼がバリバリの頃は、「開元の治」と称えられたほど、すごい政治を展開していたらしい。しかし、彼は晩年、ひとりの女性にメロメロになってしまう。

 

 

 

 それは、クレオパトラ小野妹子と並び称される世界3大美女の1人、

楊貴妃だった。

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楊貴妃

 

 

 彼女はもともと、玄宗自身の息子のお嫁さんだったらしい。

自分の息子のお嫁さんがきれいすぎて、奪っちまうっていうのは。、なかなかやるなぁ。、

 

 

 

 玄宗楊貴妃を寵愛したばかりか、彼女の一族の人間を優遇し、出世させた。そして、唐の国力が一気に衰退へ傾けた、安史の乱を引き起こしてしまった。、

 

 

 

 あの大帝国の唐がそんなんで、倒れたのか。そりゃ菅原道真遣唐使を廃止するわ。

 

 

 

 

 

 

 

 8世紀は東アジアで、2人の君主が愛に溺れ、国を沈没させるか、というすごい時代だった。

 

 愛って聞くと、いいもののように聞こえるけど、愛を突き詰めた2人は、悪名高い。

 

 

 

 愛は集中させすぎるとダメ。愛を分散させてもダメ。

 

 

 

 愛って難しいなぁ。笑

 

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中学3年間の英文法

 「数学や理科には公式集があるのに、英文法にはないのかなー。」

 

 そんな生徒の声から始まった。

 

 

 

 中学3年間の英文法を、その本質から意味や使い方、先生が指導するときのポイントまでをまとめた英文法集が完成した!!

 

 

 いろんな参考書や教科書を読み漁ったり、大学の教授たちの知見を借りたり、あとは僕のパートナーとの対話を通じてひとつの作品みたいなものができあがった。笑

 

 

 

 

 

 

 作っていて思ったことがあって、それは、

 

 

 

「わかりやすさ」と「事実」とのギャップ。

 

 

 

 

 

 

 

 例えば、"will""be going to"

 

 はっきり言って、従来通り、「意味は一緒で未来形!」のほうがわかりやすい。英語が苦手な中学生には、この説明が一番シンプルなんだ。

 

 

 でも、この教え方は間違いだらけ。どの参考書も「未来の表現」という言葉を選んでいるし、教科書だってこの2つの文法事項はまったく別のものとして取り扱っていて、それらが登場するユニットは遠く離れている。

 

 

 でもやっぱり話が難しくなってくるから、できるだけ簡単に伝えようと思ったら、「"will" と "be going to" は同じ意味で書き換え可能!」という話になってくる。

 

 そういう例題が載っている問題集は、日本の英語教育の弊害なんかではなく、苦し紛れの「わかりやすさ」を提供したかったんだ、と気づいた。

 

 

 

 

 

 でも、どんな学問であっても、いや、これは学問に限らず、相手から事実とは違うそれっぽいことを言われるのは嫌なことだと思う。

 

 

 

 例えば、「本能寺の変で、織田信長は負けて豊臣秀吉が勝った。」と教わるくらい、なんだか気持ちの悪い印象を受ける。

 

 たぶん、そう教える先生はいない。なのに生徒のレベルに合わせて、苦手な子には真実を伝えないっていうのは、正しいのか??

 

 

 

 

 

 そんな葛藤と闘っていた。1人で。いや、2人で。笑

 

 

 

 

 

 もうひとつ、パートナーとの対話の中で印象に残っていることがある。

 

 「"will" は過去形にすると、"would" になる。でも、未来の過去ってどういうこと??」

 

 「確かに。でも、過去形にできるってことは、"will" は現在形ってことになるね。"will" って『未来のことを思いついた』っていう意味だから現在形で、英語には未来を表す表現なんてないんだね。いよいよ、意味がわからなくなってきた。笑」

 

 

 

 英語には未来形はなく、もちろん日本語にも未来形はない。未来なんてまだ実態として存在しないものは、考えないし、おれらの言語では考えられないっていうところは、英語と日本語は似ているんだね。

 

 

 

 でも、もし、未来形が存在する言語が世界にはあるかもしれない

 

 世界には約7000種類もの言語があると言われている。

 

 未来形が存在し、未来を語り、未来を的確に表現し、未来を思考することのできる言語が存在していてもおかしくはない。

 

 

 こんなにも身近になっている英語のこともまだ理解しきれないのに、まったく別の時制をもっている言語なんて理解できるわけがない。なぜなら、言語はその人の思考そのものだから

 

 

 人間が考え抜いて、言語を発明したんじゃない。人間が言語を発見したことで、物事を考えることができるようになったんだ。

 

 

 発見した言語が違えば、もちろん考え方はまったく違う。

 

 同じ言語を持っていたって、いま隣にいる人と考え方がまったく違うのに、言語が違ったら、どれだけ違うのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 そう考えると、もう気になって気になって、朝も起きれない。

 

 

 いや、朝はちゃんと起きろよ。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もうすでに、地球上には、宇宙規模の壮大な次元が広がっている。

 

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 唯一、人類だけが持つ「思考」という宇宙が。

 

 

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なぜ "ガラスの靴" は魔法が解けなかったのか。

 シンデレラには夢があった。

 

 

 

 

 

 それは1度でいいから綺麗なドレスを着て、舞踏会へ行きたいという夢。

 

 

 

 

 

 それさえ信じていれば、心が楽になる気がした。毎日毎日継母と2人の姉から虐げられて、ホコリまみれになる生活の先に未来はあるんだろうか。

 

 

 

 いや、未来はきっとある。彼女は言った。

「たとえどんなに深く悲しんでも、信じ続けていれば夢は叶うわ。」

 

 

 

 

 そんなシンデレラに奇跡は起こる。彼女の前に1人の“魔女”が現れるんだ。彼女は魔法の力で美しい姿に生まれ変わり、舞踏会へ向かう。夢が叶ったんだ。そして、“ガラスの靴”をきっかけに王子様と結ばれる。

 

 

 

 

 

 

 

 ここで考えてみてほしいことがある。それは、「なぜ、“ガラスの靴” の魔法だけ12時に解けなかったのか?」綺麗なドレスも、カボチャの馬車も、12時には魔法が解ける。それなのに、なぜか“ガラスの靴”だけは王子様の手に残り続けた。

 

 

 

 

 おれは、このシンデレラの幸せ物語は全部、“魔女”が仕組んだ作戦だったんじゃないかって思うんだ。わざと12時に魔法が解けると言ってシンデレラを焦らせて、“ガラスの靴”を脱ぎ捨ててしまうように仕組んだんじゃないか?

 

 

 つらい日々をひたむきに耐えるシンデレラ、夢を忘れずに自分を信じ続けたシンデレラに、幸せを掴むチャンスをくれたんじゃないか?ってね。

 

 

 

 

 

 おれら先生たちは、シンデレラに登場する“魔女”のような存在になりたいと思ってるんだ。夢を持っている君たちに“ガラスの靴”を履かせてあげたい。

 

 

 

 

 でも、先生たちができるのはそこまで。

 

 

 

 

 叶えたい夢を見つけるのも、それを信じて奮闘するのも、舞踏会で行動を起こすのも、ぜんぶ君たち。

 

 

 

 

 

 

 物語の主役は君たちなんだ。

 

 

 

 

 

 

 「奇跡でさえ起こるのには時間がかかるもの。」

チャンスを掴むには、それなりの時間と努力を要する。

そしてなにより、煮えたぎる夢への想いが必要なんだ。なんでもいい。宇宙飛行士になりたい。動物の病気を治したい。英語を話せるようになりたい。○○高校に行きたい。なんでもいいんだ。それが君たちの人生の糧になる、そんな夢さえあれば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を叶え、幸せを掴んだシンデレラは最後にこう言う。「自分の夢に自信を持って。そうすればいつかあなたの虹は微笑むでしょう。」

[Have faith in your dream and someday your rainbow will come smiling through.]

 

 

 

 一緒に乗り超えていこう。受験生。

 

 

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「女子力」という呪い

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 男女複数人でのある食事の場で、大皿のサラダが出された。そうすると、ある男性がトングを手に取って、みんなにサラダを取り分けようとした。

 

 

 そのとき、他のある男性が「ありがとう!!お前、『女子力』高いな~!!」と言った。

 

 

 

 

 

 この何気ない日常的な発言の中に登場した「女子力」という言葉には一体どんな意味があるのだろう??

 

 

 

 

 

   疑問を投げてみる。

 

 

 

 

 

 「女子力」という言葉を使った彼の頭の中には、おそらく「サラダをみんなに取り分けるのは女性の仕事だ!!なのに、男性である君がそれをやるなんて、なんて素晴らしいんだ!!!」というのが前提にある。

 

 

   そうでなければ、女子力」なんて言葉で彼の行動を形容したりはしない。

 

 

 

 

 

 例えば、ハンカチを持っている男性に対して、「女子力が高い」と言うのは、「ハンカチを持っているのは、清潔感に気を遣う女性であるはずなのに、男性であるあなたがそれを持っているなんて素晴らしい!!」ということ。

 

 つまり、暗に「女性は清潔であるべき」という前提がある。

 

 

 

 

 例えば、料理が得意な男性に対して、「女子力が高い」と言うのは、「料理が得意なのは女性であるはずなのに、男性であるあなたが得意だなんて素晴らしい!!」ということ。

 

 つまり、暗に「女性は料理が得意あるべき」という前提がある。

 

 

 

 

 

 「女子力」という言葉が、こんなにも危険な言葉だったなんて。

 

 

 日本人は性別に鈍感だから、人種の次元に置き換えると、その恐ろしさが分かる。

 

 黒人は差別の歴史を歩み、清掃業を主に仕事にすることが多くあった。

 

   もし心の底から熱心にトイレ掃除をしている白人がいたとして、彼に対して、「君、『黒人力』高いね~!!」と言う。「女子力」はこれに匹敵する。

 

 

 

 

 あまり「女子力」に関して違和感を感じないというのは、女性に対する差別がバッチリ染みついている、女性がそうするのは当然のことだ、という認識があるということだ。

 

 

 

 

 サラダを分けてくれた男性に対して、「女子力が高い」と言った彼は、もちろんそんな深いところまでは考えていない。

 

 

 しかし、重要な点は「無意識」で発言した、という点だ。

 

 

 つまり、「女性が~であるべき」という前提が知らず知らずの間に頭の中に刷り込まれているということ。それがどこから来たのかは分からない。親、友達、先生、CM、テレビ、教科書、漫画......。

 

 

 これはもはや個人の問題ではなく、日本社会全体にはびこっている問題である。

 

 

   当然のことのように、「女性は、ハンカチを持つべき、料理ができるべき、家事ができるべき、化粧をすべき、子育てをするべき、制服はスカートであるべき、体形は細くあるべき。、」と誰もがどこかで思っている。

 

 

   歴史が、社会が、作りあげた性神を。

 

 

 

 

 

 これは女性を苦しめ、現在でも日本の社会問題の中心的問題の一つを成す。

 

 

 

 

 

 しかし、問題は女性にだけではとどまらない。

 

 

 

 この問題の重要な点は、性神話は男性をも抑圧するということだ!

 

 

 

 例えば、なよなよした男性を見ると、「お前は女か!!」というのは、どこかで「女性はか弱いものだ」と考えるのと同時に、「男性は強く、たくましくあるべき。」と考える。

 

   だから、こんなにも卑劣な言葉が簡単にでてくる。

 

 

 なよなよしている男性の何がいけないのか?男性として生まれたなら、強くたくましく生きなきゃいけなのか。

 

 

 

 

 

 

 「女子力」という言葉は、あくまで褒め言葉として使われる。もちろん誰も、誰かを傷つけようとしてこの言葉用いることは少ない。

 

 

 

 サラダを取り分けるその行為に感謝すること自体は何も問題はない。

 

 

   しかし、その行為に対して「女子」という言葉をあてることに、日本社会の問題が垣間見える。

 

 

 

 この女性神話のバックグラウンドにある前提は、女性ばかりか男性も、はたまたその2項対立に当てはまらない人々をも苦しめる元凶になっている。

 

 

 

 

 ということは、私たちが私たち全員を苦しめているってことか。