愛は世界を救わない!?
「愛」というのは、時に幸せをもたらし、時に人を狂わせる。
まさに表裏一体の感情、もはや感情と呼ぶには収まりきらない、なにかとてつもない力を秘めている。
人を狂わせる、といっても一国の王ともなる者が狂ってしまえば、もれなく国ごと狂ってしまう。
西暦756年、聖武天皇が亡くなった。
男児に恵まれなかった彼のあとを引き継いだのは、彼の娘である孝謙天皇であった。
日本において、女子のキングは認めらていない。今でもそう。ふさわしい男子がいない空白の時間の ”つなぎ” として即位した。
つまり、彼女のあとの天皇になりうるチャンスは多くの皇子に与えられたことになる。我こそ、我こそと権力を争う。
さらに、孝謙天皇自身が子どもを産むとなれば、別の貴族の男性と育まなきゃいけなくなり、皇族の血統がそっちの家に移ってしまうということで、恋愛も禁止された。
しかもしかも、女というだけで政治なんてできないって思われて、当時の有力貴族であった藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)の言いなりにならなきゃいけなかった。
もう寂しくて寂しくて仕方がない!!!!
なんで、私はこんなに寂しい想いをしなくちゃいけないの!?
想い悩み続け、40代になった孝謙天皇は、病に倒れてしまう。「病は気から」というように、彼女は床にひれ伏してしまう。
そんな彼女の看病にあたったのが、あの伝説の僧侶道鏡でした。
こいつの伝説はすごい!
なにがすごいかって?
もう、下ネタばっかり!!笑
日本史の伝説に、希代の「巨根」って書いてあるんだよ?すごくない?
なんか座ると膝が3つあるように見えるって言われてるんだよ。不名誉すぎない!?
でもでも、孝謙天皇と道鏡は恋に落ちる。寂しかった彼女に道鏡は接近した。
僧侶である立場なんて忘れて、あくまで看病という名目で、きっと、きっと、。、
「あっちっち///」があったにちがいない。笑
そして孝謙天皇は道鏡を寵愛しまくった。一般の僧侶であっただけの彼は、なんと、日本のNo.2まで昇りつめて、あと一歩で天皇になる!?ってところまでいった。
宇佐八幡の宣託っていって、「神がさ、おれに天皇になれ。って言ってくれたんだよ!もうなるしかないでしょ!?!?」ってでっちあげる。
朝廷の人間は、みんな大混乱。
まあ、結局それが嘘だってバレちゃって、左遷されてしまうんだけど。笑
実は、一国の君主が愛に毒されてしまったのは日本だけではない。
偶然なのかわからないが、8世紀という孝謙天皇ー道鏡の時代とほぼ同じ時期に、隣の中国でも愛に狂った君主がいた。
当時の中国は唐王朝。君主は玄宗と呼ばれる、すごい君主。
彼がバリバリの頃は、「開元の治」と称えられたほど、すごい政治を展開していたらしい。しかし、彼は晩年、ひとりの女性にメロメロになってしまう。
それは、クレオパトラ・小野妹子と並び称される世界3大美女の1人、
楊貴妃だった。
彼女はもともと、玄宗自身の息子のお嫁さんだったらしい。
自分の息子のお嫁さんがきれいすぎて、奪っちまうっていうのは。、なかなかやるなぁ。、
玄宗は楊貴妃を寵愛したばかりか、彼女の一族の人間を優遇し、出世させた。そして、唐の国力が一気に衰退へ傾けた、安史の乱を引き起こしてしまった。、
あの大帝国の唐がそんなんで、倒れたのか。そりゃ菅原道真も遣唐使を廃止するわ。
8世紀は東アジアで、2人の君主が愛に溺れ、国を沈没させるか、というすごい時代だった。
愛って聞くと、いいもののように聞こえるけど、愛を突き詰めた2人は、悪名高い。
愛は集中させすぎるとダメ。愛を分散させてもダメ。
愛って難しいなぁ。笑
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