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エイメイ学院 / 明成個別 英語科講師のブログ

想いを紡げ。

 波乱に満ちた、奈良の大仏が出来上がるまでのお話。


shima-nju.hatenablog.com

 

前回の続き!!!!

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 「この国を、仏教の力によって救ってもらうためには、国中の銅や木材を持ち寄って、大きな大きな大仏を作らないといけない。

 

 

 

 天下のすべての富を持っているのは私だから、その気になれば、大仏なんて簡単に作ることができる。

 

 

 

 しかし、それじゃあ意味がない。この国の民ひとりひとりが、自分の意思で、ほんの少しでもいいから材料を持ってきて、大変だけど、大仏造りをボランティアで手伝ってほしい。

 

 

 

 そうしてこそ、仏様は我々を助けてくれるんだ!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 西暦743年 大仏造立の詔。結構強気に出たよね。聖武天皇はみんなに大仏づくりを手伝ってもらえるように呼びかけた。でも、人々は集まらなった。

 

 

 

 

 なぜか。

 

 

 

 

 それは、庶民にしてみれば、「もう既に、こんなに重たい税のおかげでただでさえ生活が厳しいのに、大仏を作るためにタダ働きしろだって!?」

 

 

 

 当時は鉄道やタクシーなんてなかったから、もちろん都までは歩き。行きだけで何日かかるかもわからないし、その間の食費や宿泊費も自腹。とてもじゃないが、辿り着く前に死んでしまう。

 

 

 

 そんなところに、あいつは現れた。古代のスーパースター、庶民の味方。彼はあまり教科書では語られない人知れずのヒーロー。人々の暮らしを少しでも良くするために社会事業を展開したアクティビスト。

 

 

 

 その名は、行基である。

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 当時、仏教を一般庶民に広めることは禁止されていた。というのも、お坊さんは国を救ってくれるのがお仕事だったので、免税対象だったんだ。もし仏教が広まって出家する人々が増えてしまっては、税収入が減ってしまう。

 

 

 

 だから、ルールを破る行基は政府から厳しい弾圧を受けていた。しかし彼は、仏教は国だけでなく、一般の人々ひとりひとりが救われるためにある、という信念にもとづいて、いろいろな活動を行った。

 

 

 

 例えば、川に橋を架けたり、道路を整備し、都へ労役に来る人々のために、宿泊施設をたくさん建設した。また、池などから水を乾燥した土地に引くといった灌漑施設もたくさん作った。

 

 

 

 こうして多くの人々の心を掴み、多くの民衆に慕われる存在だった。

 

 

 

 政府は、厄介者の行基が大嫌いだった。もちろん聖武天皇もその一人。

 

 弾圧もした。

 

 でも、国の安定させるために、どうしても大仏が作りたかった。

 

 協力してくれる人が集まらなかった。

 

 この国を救いたかった。

 

 自分には何もできなかった。

 

 仏教の力を借りたかった。

 

 行基は嫌いだった。

 

 でも、どうしても大仏、ツクリタカッタ、。、

 

 

 

 

 やむなく、聖武天皇行基の人脈を使って、大仏建立のための人材を集めてもらおうと協力を要請する。弾圧までしていたが、彼に「大僧正(だいそうじょう)」という僧侶として高い地位まで与えた。

 

 

 

 かくして、行基の呼びかけやその広い人脈によって、多くの人々が協力しに集まり、大仏づくりは進んでいった。そして、752年、開眼の記念式典が開催される。

 

 

 

 

 

 

 行基は、大仏の完成を見届ける前にこの世を去ってしまう。彼の功績を称える声は多いが、その反面、平城京国分寺の造営、大仏造立といった大規模事業の連続によって国家財政や民衆をさらに疲弊させた、という評価もある。

 

 

 

 人々を救うために始めた大仏づくりが人々を疲弊させていくのは皮肉なストーリーだね。

 

 

 

 

 でも、前回に続いてこの物語を紡いだのは、行基という人物について考えるため。

 

 

 

 

 彼は、人々にとって一番良いこと、物事の本質を見極めて、自分の信念に従って多くの活動を行った。

 

 

 法まで侵した。

 

 

 弾圧までされながらも、人々の信頼を勝ち取っていった。なんとなく周りの流れに身を任せて、「それはうまくいかないよ。」と思われても、挑戦を忘れない。

 

 

 

 思ったことを形にする、行動に変える。その行動がさらに周りの人間に働きかけ、その人たちがまた行動を始める。

 

 

 

 行動の連鎖。

 

 

 

 

 

 人々を救いたいと願う一人の活動家が紡いだその糸は、今も多くの人々を魅了する、奈良の大仏を編みあげた。

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参考:

 

新版 世界各国史1 日本史 宮地正人

 

誰でもわかる聖武天皇!簡単にわかりやすく徹底解説【奈良の大仏と仏教に捧げたその生涯とは】 | まなれきドットコム (閲覧日 2019/11/30)

ちょっと大仏がスキになる話

「これ、大仏作んないとヤバくね??」

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東大寺 廬舎那仏

 

 

 

 

 

 

 

 時は奈良時代

 

 

 

 この国が自らを「日本」と名乗ってからまだ間もない頃、人々の暮らしは重い税や飢饉に耐え抜かなければならない苦しい日々であった。

 

 

 

 時の権力者は聖武天皇

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聖武天皇 724-749

 

 彼もまた、生涯不運に見舞われた悲劇の君主であった。

 

 

 

 彼の母親は皇族じゃなくて藤原氏の人間だったから、天皇に即位してから、貴族の間では、

あいつは100%天皇家の血を引いてねー!!だから、天皇としてはふさわしくないだろ!!!!!なんなんだ、ほんとに!!!!!」

って不満があったらしい。

 

 

 

 そんな不穏の中、事件は矢継ぎ早に起こる。

 

 

 

 

 

①ドロドロの冤罪事件

 当時の政権幹部は、皇族のひとり長屋王(ながやおう) と、藤原氏の政界進出拡大を目論む藤原不比等(ふじわらのふひと)。このふたりは超スーパーエリート官僚で、皇族と貴族というバランスで収まっていた。しかし、不比等が先に他界してしまったことで、政権内のパワーバランスが崩れてしまう。

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藤原不比等

 

 

 長屋王一強になっちゃって、一族拡大を図っていた藤原氏にとっては面白くない!!そこで事件を巻き起こすのは、不比等4人の息子たち。

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 なんと、4人の息子たちは長屋王が謀反を起こそうとしてます!!」と嘘をでっちあげる。長屋王不比等4ブラザーズに無実の罪をなすりつけられた!!長屋王は冤罪で自殺に追い込まれる。(長屋王の変)

 

 

 聖武天皇にとっては、政界ナンバー2のふたりを一気に失ったことになる。ただでさえ不安なのに。

 

聖武天皇

「一気に2人もいなくなった。、え、この先やってける。、?」

 

 

 

 

②古代版インフルエンザ

 その後、藤原不比等の4人の息子たち(以下、藤原4ブラザーズ)は、4人で聖武天皇の側近にまでのぼりつめて、さらに、藤原氏の女性を聖武天皇の奥さんにまでした。

 

 

 

 「これで、藤原氏の時代だ!!!」と思われた。でも、大変なことが起こる。

 

 

 

 当時の日本で、天然痘という感染症が流行ったんだ。その猛威は平城京にも届いて、なんと。、藤原4ブラザーズは全員、天然痘に侵され、死んでしまう!!!

 

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天然痘

 

 当時の流行り病なんて、たたりか呪いのレベルで怖い。突然、原因不明の何かによって、次々に周りの人間が死んでいく。

 

聖武天皇

「うそでしょ。? 4人一気にってことある?? おれの部下って死ぬ運命なの? てか、もう絶対次、おれ死ぬじゃん。まじか。」

 

 

 

 

③愚痴られたので戦争

 空いてしまった4つのポストを埋めるために、新たに鈴鹿王(すずかおう)橘諸兄(たちばなのもろえ) という人たちが登用された。

 残りの2席はどうしよっか、ということで、当時の唐からの帰国子女、吉備真備(きびのまきび)玄昉(げんぼう) のふたりがプラスワンゲストとして呼ばれた。当時のバイリンガル!!

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吉備真備

 

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玄昉

 

 しかし、これが事件を巻き起こす。

 

 

 

 そのときちょうど九州への左遷をくらっていた藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ) は、

「え、誰やねんそいつら。藤原一族のおれはこんなところにいるのに、あいつらだけ急にチヤホヤされて。えー、まじか。ないわー。」っていう趣旨のお便りを聖武天皇に送った。

 

 

 

 政治も不安定、情緒も不安定な聖武天皇は、もうそういう些細なことには敏感だった。結果、九州に即出兵。

 

 

 広嗣はただの愚痴のつもりだったのに、すごい勢いで政府軍が押し寄せてきて、あっけなく負けてしまった。(藤原広嗣の乱)

 

 聖武天皇

「あー、イライラする。なんでこんなに波乱万丈なの。一体どうしたら世の中が安定するんだ!?おれが悪いのか!?おれに天皇を務める能力が無いから、国が荒れるのか!?

 

 

 

 

 

 当時の考えでは、国が安定しないのは、その国を治める最高責任者である「天皇」に力が無いから、とされていた。

 

 

 ただでさえ、正当な天皇後継者ではなかった彼の治世は、貴族の不満に加え、重税に苦しみ飢える庶民長屋王の変天然痘の猛威→藤原広嗣の乱と続く社会不安、他にも地震といった自然災害が連発するなど、国が安定することはなかった。

 

 

 貴族の間では、「もう責任取って辞めた方がいいんじゃないの?」という雰囲気が漂う。

 

 

 

 

 

 そして聖武天皇は、最後の砦、藁にもすがる想いで、苦肉の策を講じる。

 

 

 

 

 

聖武天皇

「これ、大仏作んないとヤバくね??」

 

 「もう、おれの力じゃどうにもなんないわ。仏様に救ってもらうしかないやん。おけ、やろう。」

 

 

 

 こうして、奈良にある東大寺に、巨大な大仏を作ることが決定したんだけど、信用をすっかり失ってしまっていた彼のもとに、協力者はなかなか集まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 あいつが来るまでは。

 

-------------------- To be continued...     --------------------

 

↓ ↓ 続き ↓ ↓ 

 

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参考:

 

新版 世界各国史1 日本史 宮地正人

 

誰でもわかる聖武天皇!簡単にわかりやすく徹底解説【奈良の大仏と仏教に捧げたその生涯とは】 | まなれきドットコム (閲覧日 2019/11/30)

受験の「勝ち組」になるための3条件

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日本の「受験」システム自体が制度として疲れ切ってる!?!?

 

 

-------------------------- 前回まで --------------------------

 

shima-nju.hatenablog.com

 

前回の続き!!

 

 

 

 

 もう学校だけでは、受験は乗り超えられない。

 

 

 

 もともと受験勉強は、もっと高級な教養を受けたいと思った青年が、自らの力で目標を立てて、合格するための戦略を自分で考え、さらにそれを継続するために自分自身を鼓舞し続けなければならなかった。

 

 

 

 つまり、受験とは、知識の多さや思考の深さだけを問うものではなく、入試当日までの一連の取り組み、いわゆる人間的総合力を問うものだった。

 

 

 

 

 どんなに頭がよくたって、勉強を継続する意思が弱ければうまくはいかない。どんなに計算が早くても、未来を見て作戦を立てられなければ前には進まないし、苦手を分析しなくては穴だらけの知識になってしまう。

 

 

 

 

 

 だが、ルールは変わった。

 

 

 

 

 

 作戦を立てたり、戦略を練るプロセスは、塾の整ったシステムやカリキュラムでほとんど不要になった。

 

 自分で誘惑に打ち勝つための精神力が弱くても、否が応でも押し寄せてくる塾の宿題やテストによって勉強に向かわせてくれる。

 

 

 つまり、本来なら受験生自身で培い、養わなければいけなかった能力の大部分が、塾によって肩代わりされるようになってしまった!!

 

 

 

 まるで、「結果にコミットする」あの、RIZAPのような。

担当トレーナーが自分にあった最適なメニューを用意してくれて、それをやり切れるまで追い込んでくれる。自分の考えを差し挟むより、専門家の言われた通りにこなす方が効率的に筋肉を付けられたり、痩せられたりする。

 

 

 

 その結果、受験生に残った、求められる最低限の能力というのは、

①大量の課題を処理していく能力

②それに耐え、継続する忍耐力

 

さらに、

③与えられたものに対して、疑いを持たずに黙々とこなす能力、である。

 

 

 

 この3つの条件が、現在の日本における受験の「勝ち組」になるための条件になってしまっている、ということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 なるほど。ひたすら計算問題をこなすKUMONが①をカバーしてるから、東大進学の王道になるわけか。

 

 

 なるほど。超効率を求める塾や予備校は、子どもたちの個性を殺すのに、一役買っているってわけか。

 

 

 なるほど。進学だけを考えるんだったら、ただ与えられたものを、ただひたすらにこなして、つらい時も耐えて耐えて耐え抜けば、"明るい" 未来が待ってる、と諭すのか。

 

 

 

 

 

 

 

 あ。だから受験のセオリーよりもまず、

生徒にいつも考えさせて、

熱く語りかけて、

自らの力で答えを出せるまで生徒に寄り添える、

人間的成長を何よりも望む

 "エイメイ教育" が今、必要なのか。笑

 

 

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 ↓ エイメイ学院ホームページ

eimei-g.net

 

 

 参考文献:

受験と進学の新常識 いま変わりつつある12の現実 

おおたとしまさ

塾歴社会

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 ある機関のアンケート調査によると、東大生の約85%、早稲田、慶應、一橋などの主要難関大生の約95%が塾通いを経験してるって結果がでたらしい。日本の "エリート" は塾なしには育たないと言っても過言ではない、というところまできているらしい。

 

 

 

 確かに、自分の友達に聞いてみると、どこかしらの塾には通っていた子が多い。塾に通ってないパターンが少数派になってきている。

 

 

 

 東大に入るための王道の塾キャリアもあるんだって。

小学4年くらいまではKUMON、それから小学5年くらいからサピックスという塾に通って私立の中高一貫校をパスして、中学生になったら鉄緑っていう中高一貫校向けの塾に通い、東大へ。

 

 

 

 学歴社会というより、塾歴社会ともいえる時代に突入した。

 

 

 

 

 

 

 おれはてっきり、学校ありきの塾だと思ってた。つまり、学校がなくなってしまったら、塾も潰れちゃうんじゃないかって思ってた。

 

 

 

 でも、どうやらそうではなくなってきている。

 

 

 

 

 日本には約5万の塾がある。実は、日本の教育は学校と塾とが、うまく役割分担をしている、世界でもまれなハイブリッド教育システムなんだ。

 

 

 

 

 塾があるからこそ、学校は受験勉強に縛られずに、長期的な学習目標を据えて、本質的な教育を実践することができる。

(英語科でいうと、コミュニケーション活動をたくさんとるような。)

 

 

 

 もし、日本から塾がなくなってしまえば、この受験戦争に勝ちあがるための勉強に、学校が重点を置かなくてはならなくなる。学校がそうしたくなくても、保護者などからそういう要望がくる。

 

 

 

 つまり、この学歴競争主義的な進学システムにおいて、塾が、学校教育を守る最後の砦のようなはたらきをしているんだ!!!

 

 

 

 塾の恩恵はこれだけにとどまらない。

 

 

 

    それは、たくさんの種類の塾があることで、子どもたちも自分の学習スタイルにあった塾を選ぶことができるということ。集団授業がいいのか、個別指導がいいのか、映像授業がいいのか、家庭教師がいいのか。

 

 

 この選択の幅によって、多様な子供たちの多様な学習タイプに応えることができる。

 

 

 つまり「学校 × 塾」によって、日本の学び方の多様性が守られているんだ。

 

 

 

 

 

 

 でも、日本で塾教育がこれだけ普及するってことは、日本の教育の平等性や公正さの中で発展してきた学校教育だけでは、受験に対応することができなくなっている、ということ。

 

 

 もっと言うと、日本の「受験」というシステム自体が制度として疲れ切ってしまってるってことになる。

 

 

 

 

 

 どういうことか。

 

 

 

 

 

 

 

 続きは次回へ。笑

 

shima-nju.hatenablog.com

 

 

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参考文献:

受験と進学の新常識    いま変わりつつある12の現実

おおたとしまさ

愛が伝わらない告白方法

「英語で愛を告白するときの言い方は??」

 

 

 

 

I love you.    ...①

 

 

 

 

「じゃあ、今度はそれを受け身の文に、書き換えてみましょう!!」

 

 

 

 

You are loved by me. ...②

 

 

 

 

「よくできました!!主語と目的語を入れ替えることで、受け身の文が作れます。そして、①と②の文は同じ意味になるのです!類題をたくさんやってみましょう!!」

 

 

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これが日本の英文法指導。

これを見た英語圏の人はお腹を抱えて笑ってしまうらしい。

 

①と②の文はまったく同じ意味ではないからだ。

 

 

 

英語は基本的に、大事な情報、新しい情報を最後に持ってくる。

 

 

 

相手に愛を伝える時、いいシチュエーションで、お互いドキドキしている。

そんな場面で、"I love..." ( わたしが好きなのは...   )

相手に「わたしのことかな? ///」って期待させて、"you." ( 君だよ。)という。

 

これが①の文。

 

 

 

一方、 "You are loved by..." ( 君のことを好きな人がいるんだって...   )

それを言われた相手は、「だれが私のこと気になってるのかな!/// あ、バスケ部の先輩かなー? あ、となりの席のA君かなー?」って期待に胸を膨らませているときに、"me." ( おれ様だよ。)

 

これが②の文。

 

 

 

 

②の方で告白されても、「え、お前かよ!?」ってなるし、「君は、私によって愛されてるんだよ。」は上から目線過ぎて、関係を崩すかもしれない。

これが許されるのはキムタクか山Pくらいかも。

 

 

 

つまり、②では愛を伝えることが難しい。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「日本人は6年以上も英語を勉強するのに、英語を使える人が少なすぎる!!!」

 

 

 

確かに、これはごもっともで、6年間も勉強していることが身につかないっていうのは、驚異の効率の悪さだね。

 

 

 

その原因の一つを構成しているのが、

「英語の文法指導は、その文法の形(Form)意味(Meaning)は教えるが、その文法の使い方(Use)を教えてなさすぎ!!」

っていう教育方法への批判がある。

 

 

 

 おれらは中学校や高校でたくさん文法を教えられてきた。その形や意味を教わってひたすら問題集の問題を解いてきた。

 

 

けど、それを「どういうシチェーションで使うのか」を教えてもらっていない。ましてやそれを使う機会もなければ、練習する間もなかった。

 

 

 使い方も分からないまま、大学受験のために分厚い文法書を読み漁ってた。 知識を詰め込むことに夢中になっていた。

 

 

 

 問題集の機械的な書き換え問題を続けていると、平然と②のような文が完成するのである。

 

 

 

 

 

 

 今回は「受け身」を例にとったが、他にもたくさん、この種の齟齬が、日本の英文法指導の中にはある。

 

 

 

 

 だから、今、日本の英語教育が変わろうとしているんだ。

世界へ、愛より。

 イスラームのあけぼの。

 

 

 

 それは、ある夫婦の確固とした信頼と愛から始まった。

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 570年ごろ、アラビア半島の紅海近くにある、国際色豊かな都市マッカでムハンマドは生まれた。

 

 

 生まれは名門貴族にしては貧しかったけど、25歳のとき、広く商業を営み、成功していたハディージャという女性に雇われた。

 

 

 ムハンマドは隊商の管理・運営のような、あくまで仕事上の関係で働いていたんだけど、だんだん2人はお互いに愛情を抱くようになって、とうとう2人は結婚する。

 

 

 アラブ社会では一夫多妻制が主流だったけど、ムハンマドは、25年後にハディージャが亡くなるまで、彼女1人だけを愛し続けた。

 

 

 その後自分の事業も軌道に乗り出したムハンマドは裕福な暮らしを過ごしていたが、40代に近づくにつれ、「中年の危機」に陥る。

 

 

 彼は人生について思い悩むようになった。周りを見渡せば、社会には活気が満ち溢れ、富める者が輝かしく映っている一方で、社会は無残にも孤児や身寄りのない女を置き去りにし、闇で覆い隠そうとしていた。

 

 

 

 

 「一体、自分には何ができるのだろうか?」

 

 

 

 

 そんな悩みを抱えたムハンマドは、マッカ郊外のヒラ―山に向い、その山頂近くにある洞窟で瞑想を始めた。そこで彼は神からの啓示を受けたのだ。

 

 

 得体のしれない何かが彼に語りかけたのだ。あまりの恐怖に怖気づいた彼は、急いで山を下って、ハディージャに彼が経験した一部始終を語った。

 

 

 誰も信用しないような話だ。「洞窟で目を閉じてたら、神が語りかけてきた?」、「正義のために自分を犠牲にして、善のために身を尽くせ?」、「神の意志に服従せよ?!」

 

 

 そのどれもが信じがたい話だった。まさしくオカルトのような話。でも、その話を最初に聞いたハディージャは彼に言った。

 

 

 「あなたを信じる。」

 

 

 

 

 

 こうしてハディージャムハンマドの最初の信徒、最初のムスリムになった。そして、ムハンマドによる説教は、もっと多くの人の心に語りかけ、今日、世界三大宗教のひとつとして名を挙げるまでに至った。

 

 

 純粋に信じる力ってすごいなって思った。それを可能にする深淵な愛の力ってすごいなって思った。

 

 どんなにとんちんかんなことを言ったって、どんなに常識外れなことを言ったって、まずは話を聞いてくれる、そんな人。あなたにはいますか?あなたは相手にとってそういう存在ですか?

 

 

 

 その話が本当なのかどうかなんてわからない。その話が良いか悪いかはわからない。でも、愛する誰かの言葉を、まずは聞いて、考えて、受け止めてくれる。それから思うところを伝える。盲目や服従ではない。信頼と愛。

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうしてある夫婦の愛は世界中の何万という人々の心を、今もなお、救い続けている。

 

 

 

 

 

参考文献:

イスラームから見た「世界史」 タミム・アンサーリー著 小沢千重子訳

資本主義とお母さん

 産業革命を通して、性別役割分業は加速の一途を辿った。

 

 

 

 今までは多くの家庭では、男女ともに家で農業や製造業を営み、子どもを育てていたが、産業革命が起こったことで都市に工場が乱立し、お父さんは家の収入を稼ぎに外へ出た。

 

 

 

 お母さんはというと、今までは2人でやっていた家事をひとりでこなすようになり、子育てに専念するようになる。

 

 

 

 つまり、お父さんは外で有償の労働に、お母さんは家で無償の労働に従事することになる。

 

 

 

 前回も女性が家庭内に閉じ込められるという話題を服装の観点から見てみたが、社会構造の観点からも見て取れる。

↓参照

家庭の天使 - shima’s diary

 

 

 

 

 一見、社会に出て、資本主義の波に乗るために競争を強いられるお父さんの方が、学がないといけなさそうだが、ここからは意外な結論が出てくる。

 

 

 

 それは、国の大事な未来を担う子供たちを"人間"に育てるのは、外にいるお父さんではなく家にいる母さんだ。だから、女性こそたくさん勉強しなくては!!

 

 

 

 こうして、普通教育は男の子対象から、共学へ移行していく。

 

 

 

 現在でも、子育てに占めるお母さんの割合は大きい。お母さんが主婦な場合、「家内」と呼ぶけれど、お父さんが主夫な場合、「家内」とは呼ばない。

 

 

 

 それが良いか悪いかはおいといて、お母さんが子どもに及ぼす影響も大きいと言えるかもしれない。教育ママとい呼ばれるように、お腹の中にいる時から、圧倒的に子どもと時間を共有するのは、どちらかといえば母親の方である場合が多い。

 

 

 

 放任する態度、心配性な態度、手厚く介入する態度。幼少期の教育はほぼお母さんに委ねられてるといっていい。

 

 

 ピアノを知らない子どもが「将来、何かの役に立つかもしれない。」と習い始めるのは難しい。お母さんが子どもにある程度のレールを敷いてあげる。

 

 

 

 そこから、家族以外の人間と触れていくことで、子どもたちは自らの人生を選択していく。兄弟で性格が変わってくるのはここから。つまり、お母さんは子供にとっての人格の土台になる。

 

 

 

 おれもお母さんの影響は大きかったな、とつくづく思う。お弁当をいつも作ってくれたし、勉強しろとも言わなかったので好きなことに没頭した。ピアノも教えてくれた。

 

 

 

 お母さんがいつの世も子供のことを心配し、気にかけるのは、しごく当たり前のことかもしれない。だから、「うちの子だけ…」なんて思わないでほしい。

 

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